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シェアブックス スタッフが送るたわいもない日記
店舗改装のため1週間お休みを頂きましたが、その間に友達の結婚式に出席するため、
僕の故郷である熊本へ帰郷してきました。
いろんな出来事がありすぎて、ここで紹介すると、とてつもなく長文になりそうなんで、一言。 
「やっぱり故郷というものはいいもんですね」
みんな温かく楽しい時間をありがとう!

休暇中に読んだ本が面白かったので紹介します。
最後の冒険家 石川 直樹 (著)
《こうやって人は死んでいくんだろうな、と思った。》という印象的なフレーズから始まるこの本は
冒険家・神田道夫氏の(第2回太平洋横断挑戦中に行方不明になる)
性格や精神状態が細かく描かれていて、第1回太平洋横断挑戦に同乗した著者だからこそ
ここまでリアルな神田氏の横顔を書き出せたのだと思います。
せっかくなので、ざっと全体的なあらすじを。

神田氏は気球の魅力に取り憑かれ、普段は町役場の学校給食センター長が本職ながら、
富士山越えや北アルプス・ヒマラヤ山脈等を飛行して数々の記録を更新していく。
太平洋横断を思い立った神田氏は、若い冒険家の石川氏にパートナーとして白羽の矢を立てる。
二人は順調に飛び立ったものの、二重構造のアルミが剥がれ、
球皮下部が燃えて穴が開いてしまったため燃焼効率が悪くなり、
このまま飛び続けても燃料不足で海に落ちてしまうと判断し、太平洋横断挑戦を断念する。
高度を徐々に下げていき、海上から500m位を飛行しながら救助を待つ計画だったが、
悪天候のため、思うように操作が出来ず、真冬の海へ着水してしまう。
ゴンドラのハッチを閉め、荒れ狂う夜の海原を漂流し、一時は死を覚悟するも
たまたま近くにいたスターライト号に奇跡的に救助され、九死に一生を得る。
神田氏は4年後にもう一度挑戦するが、パートナーが見つからずに
無謀ともいえる単独での挑戦を行う事に。(石川氏は安全面の理由で同乗を拒否)
4300キロ地点で最終報告が入った後に消息を絶った。
何故消息を絶ったのか石川氏が推測しているが、あまりにも情報が少なすぎて
今もなお、真実は分かっていない。

神田氏が消息を絶って半年後に、第1回太平洋横断のさいに海に乗り捨ててきた
ゴンドラが4年半の時を経て、太平洋を往復し、悪石島の小さな浜辺に打ち上げられるのですが
これには神田氏のただならぬ「何か」を僕にも感じさせてくれました。
スターライト号に救助されるまでの内容が緊迫感に溢れ、力強く描写されており必見です。
石川氏は神田氏の事を植村直己の系譜の「最後の冒険家」と評していて
冒険家とは何かを考えさせられる一冊でもあります。
冒険・気球等に興味のある方は是非一読を。

一歩を踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる。】 byトッド・スキナー


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