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シェアブックス スタッフが送るたわいもない日記
【たった一人の30年戦争 小野田寛郎 (著)】

この本は6,7年前に友人に勧められて読んだのが初めてでした。
小野田さんの知的さ・精神力・行動力に多大なる感銘を受けたのを覚えています。
最近、買い取ってきた本の中にこの本があったので、久しぶりに読んだのですが、
やはり素晴らしい本だったので、ここで紹介したいと思います。

【小野田寛郎】
陸軍中野学校においてスパイ教育を受け、1944年12月に「情報収集・遊撃戦(ゲリラ戦)指導」
の密命を受けてルパング島へ赴任する。
1945年に日本は無条件降伏をするが、小野田さん率いるルパング島部隊には終戦の通達が
行なわれず、小野田さんに至っては、その後30年間も日本からの友軍を信じ、
島に篭り、孤独な戦いを続ける事となる。
日本兵の生き残りが戦争を続けている事を知った日本政府と米軍が投降を呼びかけるも、
「ゲリラ・諜報要因の育成をしている陸軍中野学校出身」という情報将校ゆえ、
全てが敵による謀略だと思い込み、一笑に付して、全くとりあわず月日が流れていく。
ジャングルでのサバイバルや一緒に戦った仲間とのやりとりも、
鮮明に描写されていて、否が応でも引き込まれてしまう。
僕が特に印象に残った章は、”冒険男” 鈴木紀夫青年との出会いの章である。
この青年は、小野田さんを帰還させるきっかけを作るのだが、
暗い軍国主義時代の小野田さんと、戦後生まれの平和と繁栄の申し子のような彼とのやりとりが、
小野田さんの文章力も手伝って容易に想像する事が出来、とても面白い。
帰還後、小野田さんは戦後論調からの誹謗中傷に嫌気がさし、ブラジルに移住するが、
鈴木青年とは家族ぐるみでの交流を続けていく。
だが、そんなある日ブラジルで農場を営む小野田さんに
「鈴木紀夫、ヒマラヤで遭難死」と突然の悲報が入る。
小野田さんは零下35度、風速7メートルの中、標高3900メートルの地点にある
彼が遭難した場所まで、キャンプしながら登ることを決意する。
65歳の小野田さんにとっては厳しい行程であるが、
鈴木青年と浅からぬ結びつきを感じている小野田さんは死ぬ覚悟で登っていく。
遭難したと思われる場所に着いた小野田さんは、ウイスキーと
「ルパング島で鈴木青年が震える手で勧めてきたマルボロ」をそこへ供えた。

今の日本に何か物足りなさを感じている人は、この本で何かしら感じ取れると思います。
興味のある方は、鈴木青年視点からの小野田少尉発見記
『大放浪』 鈴木紀夫(著) と共に一読を。

以下、小野田さんの名言です。

【戦いは相手次第。生き様は自分次第。】

【サバイバルとは、今まで生きてきた方法では生き残れない時に、
 なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。】


【戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、死を覚悟して生きた。
 戦後、日本人は「命を惜しまなければいけない」時代になった。
 何か命がけでやることを否定してしまった。
 覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。
 だが死を意識しないことで、「生きる」ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか。】


【「死」への直接的な危機感がない今は、「死ぬ気でなにかをやる」
 ということはないかもしれない。「生きること」を制限される
 からこそ「死ぬ気で生きることができる」のかもしれない。】


【過去は捨てることはできない。
 現在は止めることができない。
 しかし、未来は決めることができる。】
 

 by小野田寛郎

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